毎週の説教メッセージ

off 誰が私を救うのか

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説教:最上 光宏 牧師

マタイによる福音書 5:13-16

 「わたしは、自分のしていることが分かりません」(15)とパウロは訴えています。私たちは、認知症でもない限り、自分のことは自分が一番よく分かっていると思っています。しかしほんとうにそうでしょうか。パウロの悩みは、「自分の望むことは実行せず、かえって自分の憎むことをするから」です。これは人ごとではありません。私たちはだれでも、悪を望まず、善をなそうと願います。しかし、思い通りにはいかず、欲する善は行わず、欲しない悪を行ってしまうことが多いのではないでしょうか。私が洗礼を受けるきっかけになったのも、そのような自分の「弱さ」に対する悩みからでした。 パウロは「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか」(24)と悲痛な叫びをあげています。これは単なる自分の「弱さ」に対する嘆きではありません。キリストによって罪赦された者が、そのキリストの愛と恵みに応え切れない自分の「罪」に対する呻きであり、私たち全てのキリスト者の悩みを共に担った呻きと言えます。彼はそのように呻きつつ、「わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします」と讃美の声をあげるのです。主の十字架の死と復活によって、有りのままの私たちが受け容れられているからです。

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