毎週の説教メッセージ

off 主の来臨の希望

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 説教:三浦 修 牧師 (埼玉和光教会) 

エレミヤ書33:14-16

 エレミヤの時代(紀元前630年頃)、すでに北王国イスラエルはアッシリアに滅ぼされ、南王国ユダはバビロニア軍の脅威にさらされ、エルサレムに攻城の土塁が築かれた。エレミヤは、この危機的状況の中で、イスラエルの罪に対する神の裁きと回復について語った。神は、民の背信の罪の故に打たれるが、「癒しと治癒と回復をもたらす」と。それは、「恵みの約束」によるものであり、主の一方的な赦しによるのである。「その日、その時、わたしはダビデのために正義の若枝を生え出でさせる」と。これはダビデの末から救い主が生まれるという預言でもあった。クリスマスは、罪の故に滅びるべき我々のために、神が御子イエス・キリストをお与えになり、御子の十字架の死をもって、我々を赦し回復させてくださるという恵みの出来事である。そこに父なる神の痛みがあるのである。最近「父の涙」という歌を聴いて感動した。「心に迫る父の悲しみ愛する独り子を十字架につけた 人の罪は燃える炎のよう 愛を知らずに今日も過ぎてゆく 十字架から溢れ流れる泉 それは父の涙 十字架から溢れ流れる泉 それはイエスの愛。父が静かに見つめていたのは愛する独り子の傷付いた姿…」。クリスマスの喜びの背後に、父なる神のこのような悲しみがあることを忘れてはならない。  (文責・最上)

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