毎週の説教メッセージ

off 希望の源である神

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 説教:最上 光宏 牧師

ローマの信徒への手紙15:7-13 

 アドベントは、主を待ち望むときです。クリスマスを待つ思いの中で、再び来たりたもう主を待ち望むのです。キリストの降誕によって、すでに神の救いのみ業はこの世に実現しましたが、未だ完成されたわけではありません。この世に様々な矛盾や悪、不合理なことが満ちているのはそのためです。しかし、主が再び来られる時、すべてが神の支配のもとに治められ、神の国が実現するのです。それを待ち望むところに、私たちの希望があるのです。 キリスト降誕から750年も前に、イザヤは「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで、その根からひとつの若枝が育ち…」とメシア(救い主)の到来を預言しました。エッサイはダビデの父で、ダビデ王朝という大木が切り倒されて、その切り株から新しい芽が出るという預言です。ダビデの子孫の中には、偶像や大国に依存して、神に背を向けた王も多くいました。それ故に神は、主の霊による新しい王をお立てになると告げたのです。それは人々の上に権力を振るう王ではなく、人々の罪を負い、その苦しみを担うことによって救いをもたらす「苦難の僕」としての王なのです。それが馬小屋に生まれ十字架に死なれた主イエスです。主はユダヤ人だけではなく、異邦人にも、世界のすべての人々に救いをもたらす主なのです。パウロはそこに「希望の源」を見ているのです。

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