毎週の説教メッセージ

off キリストと共に死に、共に生きる

tokorozawa-mikuni to 未分類  

説教:三羽 善次 牧師 (和戸教会)

Ⅱテモテ2章8~13節

  わたしたちにとって、最も恐ろしいものは死です。キリスト教信仰は、この死を越えるところにあります。 初代教会の洗礼式で、司式者が受洗者に向けて、「キリストと共に(古い自分に)死んで」「キリストと共に(新しく)生きる」(11節)と言いました。これからキリストと共に死ぬことは、キリストと同じ復活の命に生きることになり、こうして死は、わたしたちにとっていたずらに恐れるものではなくなったのです。 イサクは息を引き取る時、「満ち足りて」死んだと言われます(創世記35:29)。それはすべて神に感謝して死を迎えたという事です。わたしたちの命の終わりにあって、感謝できることほど満ち足りたことはありません。自分の死に際して神様に、周囲に感謝を言っていく事は大切な務めです。 わたしたちにとって、ありがたくない最大の事は自分の死です。それが今やキリストの恵みによって、ありがたいものになりました。そこに永遠の命が付いてくるからです。だから、わたしたちは罪の囚人ではなく、復活の主キリストの奴隷として生きます。そこに「神の言葉はつながれていない」(9節)という事が実感されます。信仰者の内に、生きて働く神の言葉、キリストの言葉を礼拝の中で、生活の中で証ししていくのです。

Comments are closed.