毎週の説教メッセージ

off 土の器の中に

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説教 (敬老祝福礼拝):最上 光宏 牧師

コリントの信徒への手紙②4:7-15

 自分の「老い」を受け入れるということは、簡単なことではありません。私自身、後期高齢者になったのに、まだ若いつもりで、少しでも若く見せたいと思います。けれども私たちは、どこかで自分の「老い」を認め、受け入れ、「老い」を生きるということが大切なのです。作家の五木寛之は「下山の思想」という本の中で、「登山には必ず下山が伴うのに、日本人は上ることしか考えない。下ることをも大切にする必要がある」と述べています。これは経済成長しか考えないアベノミクスに対する批判であり、生活の豊かさだけを追い求める私たちに対する批判です。これはまた、老いの坂道を下る場合の忠言でもあると思いました。「老い」をいかに大切に意義深く生きるか、ということが私たちの大切な課題なのです。パウロは自分のことを「土の器」と呼んでいます。これは、土から造られ土に返る存在という意味と同時に、パウロ自身の老いの疲れや病い、伝道の労苦などが籠められている言葉です。しかし彼は、その土の器の中に「宝をもっている」と言い、その宝の故に「四方から苦しめられても行き詰らず、途方にくれても失望せず、…打ち倒されても滅ぼされない」と言い切るのです。その「宝」とは、イエス・キリストに対する信仰です。主の命にあずかって、老いの坂道を喜びと希望をもって下山したいものです。

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