毎週の説教メッセージ

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説教:最上 光宏 牧師

ヨハネによる福音書18:15-18,25-27

 ヨハネ福音書は、イエスの大祭司のもとでの尋問の記事とペトロのイエス否認の記事とを交互に組み合わせて描いています。そのことにより、「公然と話す」イエスの姿と真実を隠蔽するペトロとが印象深く対比されて描かれています。イエスへの問いが権威ある大祭司による公式の尋問であるのに対して、ペトロへの問いは、中庭で焚き火をしていた女中や下男たちの日常的な対話の中での質問でした。「あなたもあの人の弟子ではありませんか」との問いに、「違う」と応えた一言が、二度三度の嘘となり、ついに鶏が鳴き「鶏が鳴く前に三度わたしを知らないと言うだろう」と言われたイエスの言葉通りになってしまったのです。ペトロは初めからイエスを否認する意図はなく、主のために命を投げ出す覚悟までしていました。しかし、あまりにも日常的な焚き火でのおしゃべりと、たかが女中の問いという気の緩みが、主イエスとの関係を拒否する結果になってしまったのです。鶏が鳴いたのは、「目を覚ませ!」との警告でもあったのです。日常的な気のゆるみの中にこそ、主との関係を否む危険性があるのです。O.ブルーダーの「嵐の中の教会」は、ヒットラー台頭時のドイツのある小さな教会の物語ですが、時の徴を見極め、常に主イエス・キリストの光を高く掲げよと呼びかけています。

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