毎週の説教メッセージ

off 約束の子として

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説教:最上 光宏 牧師

ガラテアの信徒への手紙4:21-5:1

 アブラハムには二人の男の子がいました。一人は女奴隷ハガルとの間に生まれたイシュマエル、もう一人は正妻サラを通して与えられたイサクです。前者は、神の約束を待てずに、妻と相談の上で奴隷の女に産ませて得た「奴隷の子」であり、後者は、アブラハムが100歳になって神の約束によって与えられた「約束の子」です。 パウロは、律法の行いによって神の義を獲ようとする者を奴隷の子に喩え、イエス・キリストを信じる信仰により、神の恵みによって義と認められた者を「自由の子」に喩えて、両者の違いを説明するのです。どちらも「アブラハムの子」であることに違いはありません。しかし、両者とも「相続人」になるわけではありません。神の国を受け継ぐ者は、神の約束を待ち望む者です。救いは、自分の判断や計画・努力で勝ち取るものではありません。ただ神の恵みにより、信仰によって与えられるものです。主イエス・キリストの十字架の死と復活を信じ、神の国を待ち望む者こそが、神の約束を受け継ぐ自由な「霊の子」なのです。「この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷のくびきに二度とつながれてはなりません」(5:1)。常に、み言葉に固く立って、主に従いつつ、神の国を待ち望む者でありたいと願います。

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