毎週の説教メッセージ

off 神による相続人

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説教:最上 光宏 牧師

ガラテアの信徒への手紙4:1-7

 どこの国でも「未成年者」には、さまざまな制約があります。パウロの時代においても、相続人は、成人となるまで後見人や管理人の監督の下におかれました。未熟な若者を保護するためです。「律法」にはそのような意味がありました。しかし、時満ちて、神はその独り子を世にお遣わしになり、律法の拘束から私たちを解放してくださったのです。私たちはこのキリスト贖いの恵みによって、奴隷の子から、自由な神の子とされるのです。「あなたがたが子であることは、神が『アッバ父よ』と呼ぶ御子の霊を私たちの心に送ってくださった事実から分かります」(6節)。 神を「父よ」呼ぶことは自明のことではありません。神の御子イエス・キリストの恵みにあずかり、その霊(聖霊)によって可能になるのです。それが、私たちが成熟した大人となり、神の国の「相続人」となることなのです。主イエスの語られた「放蕩息子の喩え」(ルカ15章)は、相続人としての資格を放棄し、放蕩に身をもちくずした弟が、自らの罪を悔い改めて父のもとに立ち帰った話です。「父よ、わたしは息子と呼ばれる資格はありません」と告げる彼に、父親は彼を「わが子」として迎え、「死んでいたのに生き返ったのだ」と、怒る兄を説得し「相続人」として受け入れるのです。私たちも、主イエスを通して、いつでも「父よ」と呼んで、神の御許に立ち帰りたいものです。

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