毎週の説教メッセージ

off 神の子羊

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説教:森 淑子 牧師 (狭山教会)
ヨハネによる福音書1:29-34

洗礼者ヨハネは三回自分を否定して、自分を「声」と紹介することによって、イエスをことば(ロゴス)なる方として紹介している。声は「ことば」を持ち運ぶ道具に過ぎない。声の中に盛られている内容こそが「ことば」である。ヨハネが語ることはイエス・キリストであり、その方が表わされることを願っている。そのイエスは世の罪を取り除く神の小羊である。イザヤ書53章に描かれている羊とか、祭壇で屠られる羊を指しているのであろう。

わたしは信徒の身分のまま開拓伝道を始めたので、御言葉を語ることに畏れを感じ長い間悩んだ。ある時、私は洗礼者ヨハネがイエス・キリストを指し示すことに徹していることに感銘を覚え、ヨハネのように、イエス・キリストを証することに徹しようと決心した。ヨハネによる福音書1章には、「見る」という言葉が繰り返されている。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」、見るのは自分の罪や他人の罪ではなく、その罪を取り除く神の小羊である。信仰には、この「見る」ことが大切である。イエスは「来てみなさい」と言ってくださる。

「信仰の導き手であり、また、その完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではありませんか」(ヘブライ人への手紙12:1~2)

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