毎週の説教メッセージ

off 若者よ、起きよ

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説教:最上 光宏 牧師

ルカによる福音書7:11-17

 主イエスは、ナインの町で、ある若者の葬列に出会いました。その町のやもめの一人息子が亡くなり、墓場に向かう途中だったのです。だれの死でも悲しいものですが、母親にとって一人息子の死ほど辛く悲しいものはありません。夫に先立たれた彼女にとって、その息子は唯一の希望でした。泣き悲しむ母親の姿を見て、イエスは憐れに思い、「もう泣かなくてもよい」と言われました。悲しい時に泣くことは必要なことです。イエスは泣くことを制止したのではなく、「もう泣く必要はない」と言われたのです。主イエスが共に泣き、彼女の辛い悲しみを一緒に担っておられるからです。「憐れに思った」という言葉は、単なる同情ではありません。原意は「はらわたを痛める」と意味で、相手の痛みを共に担うことを意味しています。イエスは近づいて棺に触れ「若者よ、起きなさい」と命じ、息子をその母親にお返しになったのです。 アウグスティヌスの母モニカは息子が肉の欲に溺れ、邪教に陥った時、主がこのナインのやもめを憐れんだように、私の息子を生き返らせ、私のもとにお返し下さいと、必死に祈ったそうです。その祈りが聴かれて、アウグスティヌスは迷いの眠りから覚め、生涯神と人に仕える立派な教父となったのです。若者は今、そのような涙の祈りを必要としているのです。「若者よ、起きよ!」。

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