毎週の説教メッセージ

off 荒れ野に道を備えよ

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 説教:最上 光宏 牧師

 イザヤ書40:1-11

 イザヤ書40章から55章までの「第二イザヤ」と呼ばれる箇所は、イスラエルの国がバビロニア帝国に滅ぼされ、多くの民がバビロンに捕らえ移された「バビロン捕囚」末期の預言です。50年も続いた捕囚の苦しみの中で、民は疲れ果て生きる希望を失い、草花のようにしおれた状態でした。そういう中で、一人の無名の預言者によって、神の言葉が伝えられたのです。「慰めよ、わたしの民を慰めよ…苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた」と。これは捕囚からの解放を告げる神の慰めのことばです。イスラエルの民の50年に及ぶ捕囚の苦しみを、神はその民と共に苦しみ、時が満ちるのを待っておられたのです。そして「主のために、荒れ野に道を備えよ」と呼ばわるのです。主なる神が、下ってきてイスラエルの民の中に宿られ、民の先頭に立って荒れ野を通って郷里エルサレムまで導かれるというのです。この預言は紀元前538年、ペルシャの王クロスによって実現したのですが、福音書の記者たちは、イエス・キリストこそが、すべての民を罪の捕囚から解放するまことの救い主であるとして、主の道備えをしたバプテスマのヨハネこそイザヤの預言した「荒れ野に呼ばわる声」(マルコ1:2-4)としたのです。私たちも悔い改めて荒れ野に道を備え、慰め主イエスの到来を待ち望みましょう。

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