毎週の説教メッセージ

off 活きたキリストの体としての教会

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説教:最上 光宏 牧師

コリントの信徒への手紙①12:12-27

「教会」は、神によって「召された者の集まり」(エクレシア)です。主イエスは、弟子たちに「あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選んだ。それはあなた方が実を結ぶためだ」と言われました。教会は一般のグループのように任意の自己目的の集まりではなく、神によって必要とされて、選ばれた者の集まりです。一人一人は弱さと破れをもった者ですが、イエス・キリストに結ばれて、「キリストの体」とされているのです。イエス・キリストの命と、力にあずかって、キリストの御心に従う群れなのです。 体は、多くの部分から成り立っていますが、体は一つであり、どの部分も大切な体の一部です。それぞれの部分が、しっかりと体につながって、それぞれの役割を果たす時、その体は活きた体として機能するのです。教会の場合も同様です。一人一人みな、個性が違い、賜物も違いますが、みな大切な「キリストの体の部分」です。だれも自分を卑下して、「私なんかいなくても」などと思う必要はありません。また、自分を誇って、他の人を見下し「あの人は要らない」などと言うことは許されません。「体の中で弱く見える部分がかえって大切なのです」。互いに補いあって共に生きるためです。弱い者を排除し、強さだけを求めるこの世の中で、教会は、交わりを通して「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣く」活きたキリストを証しする使命と責任を負っているのです。

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