毎週の説教メッセージ

off わたしに従いなさい

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説教:加藤 久幸 牧師

ヨハネによる福音書21:15-25

「ペトロは、イエスから三度(目)も『わたしを愛しているか』と言われたので、悲しくなった」(17節)。この「悲しみ」こそが、ペトロを牧者へと歩み出させていくことになったのではないかと想います。この「悲しみ」は、ペトロの三度の否認と関係しています。ルカ福音書の否認の場面(22:54-62)否認の予告(22:31-34)を見ると、イエスはペテロに、「シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰がなくならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(22:31‐32)と語っています。ペトロは主を否認した後、初めて「主の言葉を思い出し」「そして外に出て、激しく泣いた」(22:61-62)のです。

イエスの憐れみは「断腸の想いに駆られた」「はらわたをつき動かされる」であるとも訳されますが、イエスこそが悲しみを知る方であり、悲しみの内にある者を放置される方ではなかったと想います。

イエスはペトロを牧者として招かれます。ここには牧者としての資格審査はありません。もしあるとすれば、イエスがそうであるように、牧者が、自らの、隣人の「悲しみ」を知っているかどうかです。「何もかもご存じ」(17節)のイエスが、「わたしに従いなさい」(19節)と招かれます。

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