毎週の説教メッセージ

off 命を得るために召される

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説教:加藤 久幸 牧師

テモテ6:11~16

新約聖書の中の手紙の中で、紀元100年代以降には、テモテ、テトス、ヘブライ等の各手紙が書かれるようになりました。6月の聖書箇所の牧会書簡と呼ばれる手紙は、教会の外と内との厳しい闘いのさなかに書かれました。それらは、教会が健全であるための教え、そのための教会指導者の責務を重要視しているからです。

今日の箇所では、最後の審判、「万物に命をお与えになる神の御前」(13節)にいるようにして、求めがなされています。そして、「命を得るために、あなたは神から召され、…信仰を表明したのです」(12節)。これは、牧師になる時の「按手」を指していると想われます。当時の(も)、牧者になることの厳しさを想います。
教会の外と内、牧者の外と内に、複雑に絡みあう闘いが満ちていたことでしょう。その闘いにおいて、今日の聖書は、「正義」を行え、「義」を追い求めなさい(11節)、そして義、信仰、愛によって闘うべき時が来たら、躊躇するな、と勧めます。
この闘いに召してくださったのは神であり、あらゆる者の創造者であり命を支える方が、イエス・キリストにおいて私たちと出会ってくださったのです。イエス・キリストは…ポンテイオ・ピラトの前でも真実に証言をし、自らの死を引き受けることにより「命を得ること」を示されたのです。この御業に参与することの「召命」と「使命」の恵みを想います。その感謝と讃美が、今日の聖書に満ちています。

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