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	<title>毎週の説教</title>
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		<title>隣人を愛しなさい</title>
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		<pubDate>Sun, 26 Apr 2026 01:15:41 +0000</pubDate>
		<dc:creator>tokorozawa-mikuni</dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[説教：小手川 到　牧師 レビ記　１９章９節～１８節 キリスト教という宗教を「ひとことで説明せよ」と言われたら、 [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>説教：小手川 到　牧師</p>
<p>レビ記　１９章９節～１８節</p>
<p>キリスト教という宗教を「ひとことで説明せよ」と言われたら、皆さんなら何と答えるでしょうか。きっと多くの方は、「愛の宗教」とお答えになるのではないかと思います。聖書に「神は愛なり」とはっきりと書かれています。聖書には愛の教えが散りばめられています。今朝は旧約聖書のレビ記に記された愛の教えです。神はユダヤの民をご自分の民として選び、深く愛されました。エジプトから救い出し、荒れ野でマナを与え、養い育て、カナンの地に導かれました。その歴史的な愛の関係を前提に、神は、「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である」と言われたのです。同じように、神は異邦人である私たちのことも愛してくださっています。そのしるしに神の独り子イエスさまを世にお与えくださいました。イエスさまは十字架にご自分の身を捧げられました。それほどまでに私たちを愛してくださいました。その愛の御業によって私たちを神の子としてくださいました。こうして私たちは父なる神さまとの新しい親子関係の歴史を生き始めるようになったのです。もはや私たちは誰も孤児ではありません。誰もが神の子なのです。</p>
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		<title>まことの羊飼い</title>
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		<pubDate>Sun, 19 Apr 2026 13:19:27 +0000</pubDate>
		<dc:creator>tokorozawa-mikuni</dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[説教：小手川 到　牧師 ヨハネによる福音書　１０章７節～１６節 「良い羊飼いは羊のために命を捨てる」。自分の命 [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>説教：小手川 到　牧師</p>
<p>ヨハネによる福音書　１０章７節～１６節</p>
<p>「良い羊飼いは羊のために命を捨てる」。自分の命を投げ打ってでも羊の命を守ろうとするのが良い羊飼です。主イエスはそのようなお方です。主は私たちを生かしてくださるために御自分の命を十字架に捧げられました。本日のヨハネ福音書は教会とはどのようなところなのかを教えています。また牧師はどのような覚悟でいなければならないのかを教えています。私たちは『教会』という安全な囲いの中に閉じこもっているのではなく、囲いの外に出て他者と関わりながら生きていくよう主に導かれています。そこには罪の誘惑や苦難が伴うでしょう。そこで主は言われるのです。「私は命を捨ててもあなたの命を守ろう」。この言葉は教会を牧会する牧師にとって大変厳しく感じられます。私のような甘っちょろい牧師には身が引き締まる重い言葉です。２０００年前、中東の片隅でイエスというどこまでも美しい生き方をした真の人がおられました。力強く命の言葉が語られました。キリストは私たちの命の糧です。分断された世界を一つの群れに戻す輝きに満ちた言葉です。ヨハネ福音書という書物は始めから終わりまでそのような愛の言葉に貫かれているのです。</p>
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		<title>疑い深いトマス</title>
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		<pubDate>Sun, 12 Apr 2026 05:05:29 +0000</pubDate>
		<dc:creator>tokorozawa-mikuni</dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[説教：小手川 到　牧師 ヨハネによる福音書　２０章１９節～２９節 イースターの一週間後の日曜日、今度は他の弟子 [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>説教：小手川 到　牧師</p>
<p>ヨハネによる福音書　２０章１９節～２９節</p>
<p>イースターの一週間後の日曜日、今度は他の弟子たちと一緒に家の中にトマスもいました。そこへ復活の主が現れて、「あなたがたに平和があるように」と言われました。そして疑い深いトマスに向かってこう言われたのです。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。あなたの手を伸ばして、わたしのわき腹に入れなさい」。トマスはこのとき主の傷跡に触れたでしょうか。聖書には何も書かれていません。きっとトマスは傷跡に触れることができずに、「わたしの主、わたしの神よ」と叫ぶのが精いっぱいだったのではないでしょうか。トマスは最初、「主のためなら自分は死ねる」と思っていました。それが自分にとって最高の死に場所だと思っていました。ところが彼が知ったのは、「自分は主のために死ぬことはできなかった」ということだったのです。しかも、「そんな自分のために主は死んでくださった」ということだったのです。キリストは私たちを苦しめるものから解放してくださるために、今もなお十字架の苦しみを味わっておられます。私たちは十字架の主から、「苦しむ人に無関心でなく、彼らの痛み（傷跡）に触れる（寄り添う）生き方をしなさい」と命じられているのではないでしょうか。</p>
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		<title>空の墓　（イースター礼拝）</title>
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		<pubDate>Sat, 04 Apr 2026 16:03:50 +0000</pubDate>
		<dc:creator>tokorozawa-mikuni</dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[説教：小手川 到　牧師 ヨハネによる福音書　２０章１節～１０節 最後の晩餐の後、弟子たちは主を裏切り逃げてしま [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>説教：小手川 到　牧師</p>
<p>ヨハネによる福音書　２０章１節～１０節</p>
<p>最後の晩餐の後、弟子たちは主を裏切り逃げてしまいました。主は十字架に架かり、墓に葬られました。弟子たちは後悔したでしょう。「ダメな弟子で情けない」、「顔向けができない」。そのような思いだったでしょう。本日のヨハネ福音書は、主を納めた墓が空であった目撃証言を通してキリストの復活を伝えます。しかし弟子たちは復活の主にまだ出会っていません。主は復活されたのに、そのことに気づいていないのです。</p>
<p>キリストの命は暗い墓の中にはありません。神さまは不完全で欠けだらけの私たちが光り輝くように、復活のキリストの命を土の器である私たちの内に納めてくださいました。だから私たちは完璧でなくていい、自分の能力に頼らなくていい、欠けだらけでいい。あなたはそのままで神さまに用いられます。そのために生まれてきたんです。ひび割れているからこそできることがあります。欠けだらけのあなたを神さまは愛してくださっています。</p>
<p>本日の聖書箇所の続きには、様々な人々が復活のキリストと出会う物語が記されています。欠けだらけの人々がイースターのこの日からキリストと出会うようになります。出会い方はそれぞれです。あなたはどのような出会い方をするでしょうか。キリストと出会う日が訪れますように。ひび割れているあるがままの自分を受け入れ、キリストの命に生きてまいりましょう。</p>
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		<title>イエス・キリストの恵みがあなたがたと共にあるように</title>
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		<pubDate>Sat, 28 Mar 2026 16:09:01 +0000</pubDate>
		<dc:creator>tokorozawa-mikuni</dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[説教：加藤 久幸　牧師 フィリピの信徒への手紙 4:10-23 現行のフィリピの信徒への手紙の最後には、教会の [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>説教：加藤 久幸　牧師</p>
<p>フィリピの信徒への手紙 4:10-23</p>
<p>現行のフィリピの信徒への手紙の最後には、教会の宣教の活動の財源とパウロの挨拶が記されています。パウロは、福音を宣べ伝えることによって生活する権利をもっていましたが(Ⅰコリント9:3-18)、諸教会から金銭を受け取ることを拒んでいたようです。それは、パウロにとっては、福音を宣べ伝える自由がかけがえのないものであったからでしょう。ですから、フィリピの教会から援助を受けるとき、パウロは、宣教の自由を宣言し、贈り物を教会の働きの実に関係づけ、神への芳しい香りに関係づけ、パウロ個人に対するものでないことを、明らかにする必要があったのだと想います。蛇足ながら、私の所沢みくに教会時代において、コロナ禍ということもありましたが、教会員の誰とも親密な[特定な]関係を築くことができなかったことは、たとえ無礼と思われようとも、互いのバランスを保つという意味ではよかったのかなとも振り返ります。今日の聖書で、パウロがフィリピの人々によそよそしく語っている、その様を意義深く想像します…。</p>
<p>パウロは、宣教の自由を語りますが、信徒からの贈物が、教会の活動や奉仕のわざを支えました。私たちは、その様子を、パウロの手紙を通して、すべてのことは、神を礼拝するという観点から理解されるべきであろうということに、気づかされ教えられます。｢わたしはあなたと共にいる｣(イザヤ書43:5)という、教会の活動、信仰の歩みを共にできたことを感謝します。ありがとうございました。</p>
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		<title>平和の神はあなたと共におられます</title>
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		<pubDate>Sat, 21 Mar 2026 16:07:11 +0000</pubDate>
		<dc:creator>tokorozawa-mikuni</dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[説教：加藤 輝勢子　牧師 フィリピの信徒への手紙 4:2-9 「わたしは、エポディアに勧め、またシンティケに勧 [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>説教：加藤 輝勢子　牧師</p>
<p>フィリピの信徒への手紙 4:2-9</p>
<p>「わたしは、エポディアに勧め、またシンティケに勧めます。主において同じ思いを抱きなさい」(2)と、パウロは昔、共に福音のために戦ってくれた婦人たちに手紙で呼びかけます。それは二人を陥れるためではなく、むしろ教会の指導者や教会の信徒たちにそのことをしっかり受け止めて、「心を合わせて福音の信仰のために共に戦う」(1:27）、「心を合わせ、思いを一つにして」(2:2)ということを想起させるためでした。さらにパウロはフィリピの教会に「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい」(4)と促し、さらに「あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます」(5)と励まされます。例えば私たちキリスト者が喜んで主日礼拝に行ってしていたら、家で留守番をしている人は「教会って何がそんなに楽しんだろうか」と思うだろうし、反対にいやな気持ちで暗い顔をして行っていたら、「教会って大丈夫か？」と心配になるのではないでしょうか。「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう」(6-7)と言われます。<br />
2020年4月からコロナ禍を共に過ごし、主日礼拝を共に守れたことは、本当に感謝なことでした。世の中は大変困難な時代に入って行きそうです。しかし、心を合わせて福音の信仰のために共に戦うならば、平和の神はあなたがたと共におられます。</p>
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		<title>主によってしっかり立ちなさい</title>
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		<pubDate>Sun, 15 Mar 2026 12:19:10 +0000</pubDate>
		<dc:creator>tokorozawa-mikuni</dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[説教：加藤 久幸　牧師 フィリピの信徒への手紙 3:17-4:1 　パウロが言う｢キリストの十字架に敵対して歩 [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p align="left">説教：加藤 久幸　牧師</p>
<p align="left">フィリピの信徒への手紙 3:17-4:1</p>
<p align="left">　パウロが言う｢キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多いのです｣(18)とは、誰のことでしょうか。先週の3:1b-16では、私は、その箇所の敵対者を、取りあえずユダヤ主義者と呼びましたが、彼らは律法を守ることによって義は得られるものと考えていたと思われます。しかし、今日の箇所においての敵対者は、取りあえず自由主義者と呼んでおきますが、彼らは肉体に関する姿勢を問題にしているようであります。彼ら敵対者は、別々の存在というより一つの存在に同居しているのかも知れず、近代の人たちが名付けたユダヤ･キリスト教的グノーシス主義者であったと理解した方が適切かもしれません。パウロは｢わたしたちの本国は天にあります｣(20)と語ります。また｢天より降り｣(20)ということはグノーシスの理解でも語られますが、｢キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体で同じ形に変えてくださる｣(21)という告白は注目すべきです。パウロは、ユダヤ人として、キリスト者として、体は神が造られたものとして、受け入れています。パウロは、現時点でのフィリピの信徒たちを｢愛し、慕っている｣と呼び、キリストの日(終末の時)の信徒たちを｢喜びであり、冠である｣(4:1)と表現します。この表現は、パウロが今まで用いてきた、競技あるいは試合の終わりの勝利と歓喜の時として、描くものなのでしょう。それゆえ、今の時も、キリストの日も、｢主によってしっかりと立ちなさい｣(4:1)、立ちましょうと、パウロは勧めます。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>神から与えられる義</title>
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		<pubDate>Sun, 08 Mar 2026 12:14:31 +0000</pubDate>
		<dc:creator>tokorozawa-mikuni</dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[説教：加藤 久幸　牧師 フィリピの信徒への手紙 3:1b-16 今日の箇所から調子が変わります。パウロは、脅威 [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>説教：加藤 久幸　牧師</p>
<p>フィリピの信徒への手紙 3:1b-16</p>
<p>今日の箇所から調子が変わります。パウロは、脅威であった人物を｢犬ども｣｢よこしまな働き手たち｣｢切り傷にすぎない割礼を持つ者たち｣(2)と辛辣に表現し、注意を喚起します。恐らく、この敵対者は、キリスト教徒をユダヤ教の会堂に獲得しようとするユダヤ教徒であっただろうと、推測されています。しかも、この妨害者はユダヤ教も歪曲し宣べていると、パウロは感じていたようです。ですから、パウロはこう述べます。｢わたしたちこそ真の割礼を受けた者です。わたしたちは神の霊によって礼拝し、キリスト･イエスを誇りとし、肉によらないからです｣(3)。ここで、パウロは肉という言葉で広く人間の努力や業績をも意味しているように語りますが(4)、自らの肉も覚めて語っています(5-6）。パウロは、律法に対する向き合い方に死にました。｢わたしには、律法から生じる自分の義ではなく、キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられる義があります｣(9)。意外に聞こえるかもしれませんが、キリスト教を優れた宗教であるとして捉え、律法に対する誤解と同様に自己の義を求める宗教の誤謬を、3章は示唆しているのかも知れません。後半の箇所(12-16)は、パウロ(信仰者)は再び走る者について語ります(2:16参考)。パウロは、個人の向上ではなく、共同体の｢完全｣という観点で語っているようです。しかも、この｢完全｣が｢欠けのある｣人々という成熟という意味なら、彼はユーモアをこめて｢完全な者｣(15)と語っているのでしょう。そして、｢いずれにしても、わたしたちは 到達したところに基づいて 進むべきです｣(16)と語ります。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>主において喜びなさい</title>
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		<pubDate>Sun, 01 Mar 2026 04:56:55 +0000</pubDate>
		<dc:creator>tokorozawa-mikuni</dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[説教：加藤 久幸　牧師 フィリピの信徒への手紙2:17-3:1ａ 今日の最初と最後の区切りは段落の途中ですが、 [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>説教：加藤 久幸　牧師</p>
<p>フィリピの信徒への手紙2:17-3:1ａ</p>
<p>今日の最初と最後の区切りは段落の途中ですが、それらを並べると、｢…喜びなさい｣(2:18)と｢主において喜びなさい｣(3:1ａ)となります。内容的には、1:12-26のように報告となっていますが、パウロは礼拝という観点から語っています。前半(2:19-24)では、パウロが拘束され、そのお世話のために派遣されたエパフロディトが病気になるという、厳しい状況の中で、テモテが派遣されることになりました。そのテモテのことがこう報告されています。｢他の人は皆、イエス･キリストのことではなく、自分のことを追い求めています。テモテが確かな人であることは あなたがたが認めるところであり…彼はわたしと共に福音に仕えました｣(21-22)。後半(2:25-30)では、エパフロディトのことが報告されています。パウロとの関係では、｢彼はわたしの兄弟、協力者、戦友で｣(25)であり、教会との関係では、｢使者として…奉仕者｣(25)となり、｢キリストの業に命をかけ｣(30)た存在だと見なしています。パウロは、回復したエパフロディトを大急ぎでフィリピに送り返そうとし、｢主に結ばれている者として大いに歓迎してください。…彼のような人々を敬いなさい｣(29)と、牧会的配慮を示しつつ、送り出そうとします。</p>
<p>今日の箇所は二人に関する報告ですが、その枠の2:17-18と3:1aを読むと、パウロの伝道者の姿勢を感じさせるものです。彼は自分の死の可能性を意識していると思いますが、今日の報告にあるような二人の人生の様々なことも含め、パウロの死も、神信仰･神礼拝の観点から捉えるのは当然なのではないかと想います。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>福音にふさわしい生活を送る</title>
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		<pubDate>Sun, 22 Feb 2026 07:40:44 +0000</pubDate>
		<dc:creator>tokorozawa-mikuni</dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[説教：加藤 久幸　牧師 フィリピの信徒への手紙1:27-2:16 今日の聖書は、｢ひたすらキリストの福音にふさ [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>説教：加藤 久幸　牧師</p>
<p>フィリピの信徒への手紙1:27-2:16</p>
<p>今日の聖書は、｢ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい｣(27)と始まります。｢ふさわしく｣という言葉は行動を表わす言葉です。恐らく、フィリピの市民は、自己を誇り、愛国的でもあったと、想います。フィリピの信徒たちは、特別のことをしていたのではなく、彼らの生活、そして、神を信じ礼拝する、投獄されたパウロともつきあいがあるなど…そのような生活のたたずまいが彼らの歩みを形作っていました。29節に、｢あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられている｣(29)と、あります。それは、パウロが、フィリピの信徒の人たちの歩みをそのように受けとめていたからであります。それ故、パウロは｢あなたがたは、わたしの戦いをかつて見、今またそれについて聞いています。その同じ戦いを あなたがたは戦っています｣(30)と、述べます。そこで、パウロは｢キリスト賛歌｣(2:6-11)を紹介し、｢わたしが…いない今はなおさら｣(2:12)と語ります。そして、パウロはモーセの訣別の辞にならった言葉を述べます(2:14-16)。パウロは、警告として積極面を表現します。それは、パウロが、神の民は｢世にあって星のように輝き｣(2:15)行動すべきと、考えていたからでしょう。そして、そのことは、教会を教会たらしめるのは｢キリストにある｣と信じ、｢あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神である｣(2:13)と、受けとめていたからであります。</p>
]]></content:encoded>
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