毎週の説教メッセージ

off 十字架の誇り

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説教:最上 光宏 牧師
ガラテヤの信徒への手紙 6:11-18

ユダヤ人にとって「割礼」は、神に選ばれた民としての印であり、民族としての誇りでもありました。ガラテヤの教会を攪乱したユダヤ人キリスト者たちは、その誇りのあまり、あたかも割礼が、救いの必要条件であるかの如く説き、他の教会員にも強要したのです。パウロは、彼らのことを「肉において人からよく思われたがっている者たち」と呼び、「キリストの十字架の故に迫害されたくないばかりに、無理やり割礼を受けさせようとしている」と批判し、キリスト者の誇りは何か、と問うているのです。パウロも、かつてはユダヤ人としての誇りをもって生きていました。誰よりも熱心に律法を学び、その誇りの故にキリスト教徒を迫害さえしました。しかし復活のキリストとの出会いにより、一切の誇りを糞土のように投げ捨てて、ひたすらキリストの十字架の福音を宣べ伝える者になったのです。キリストの十字架による救いの恵みの「あまりの素晴らしさ」の故です(フィリピ3;8)。「このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません」。これはパウロの不退転の決意の表明です。彼はユダヤ人にもギリシャ人にも、ただ十字架の福音を語り、そのために受けた迫害の傷跡を「イエスの焼き印を身に受けている」と語るのです。あなたは何を誇りとしますか。

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