説教:加藤 輝勢子 牧師
ヨハネによる福音書18:1-40
イエスが弟子たちとキドロンの谷にいるとき、ユダは一隊の兵士と祭司長の下役を連れて来ました。イエスは「誰を捜しているのか」(4)と問い、「ナザレのイエスだ」と言われ、イエスは「わたしである」と答えると、兵士たちは後ずさりして倒れました。ペトロは剣で下役に切りかかりました。イエスはそれをいさめ、「父がお与えになった杯は飲むべきではないか」(11)と言われました。そして、大祭司のところに連れていかれました。一方ペトロはもう一人の弟子と一緒にイエスに従って大祭司の屋敷の中庭で火にあたっていたが、「あなたも、あの人の弟子ではないか」と問われ、「違う」と否定し、イエスのためなら命を捨てますと言っていたのに、「鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うだろう」と言われたことがおこり、自分の弱さが露呈し、その場から逃げてしまうのです。大祭司のところから、総督官邸に連れていかれたイエスに、ピラトは尋問をし、ピラトはイエスの罪を見いだせなかったが、大祭司やファリサイ派の人々の言い分を受け入れ、慣例により過越祭には罪人一人を釈放することを提案しました。
イエスは「わたしである」と逃げも隠れもしないと自己開示している中、ペトロも含めて、大祭司やファリサイ派の人々も自分たちのことだけを考えていることが浮き彫りにされています。受難週の時、ペトロの弱さ、私たちの弱さを知っておられたイエスの真理の言葉を聞いて、共に歩みましょう。