毎週の説教メッセージ

off 『フィリピの信徒への手紙』について

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説教加藤:加藤 久幸 牧師

フィリピの信徒への手紙1:1-2

パウロの手紙(紀元50年代に執筆)は、パウロたちの宣教方法つまり長く同じ土地に留まることはなかった(使徒言行録を参照)ということと密接に関係します。しかし、パウロは、手紙を通して「臨在」ということを大事にしました。フィリピの信徒への手紙(以下「フィリピ書」と表記)は、「キリスト・イエスの僕であるパウロとテモテから」(1)と、発信人の記述から始まります。それは、キリストが僕の身分になられたと同じように、互いが相手に対して僕となるように勧めることを意味しており、テモテの名前が見られるのはパウロたちの宣教がいつもチームであったことを示しているのでしょう。次に、「フィリピにいて、キリスト・イエスに結ばれているすべての聖なる者たち」(1)と、宛て名が出てきます。それは、神が「神の民」として宣言されたフィリピの信徒たちがどのように生活するかが[本文において]展開されていくことが示唆されているように思います。使徒言行録はこの町の宣教の始まりを伝えています(16:11-40)が、パウロがローマ帝国の権力に対峙したのはこの町が最初でした…。さらに、宛て名は「監督たちと奉仕者たちへ」(1)と続きます。この監督・奉仕者という職務が教会に出現するのは2.3世代後であると言われていますが、当時も、奉仕者・監督は召使や世話人に対して普通に使われていたようであります(私は「公僕」という言葉を意識します)。最後に、パウロは「神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように」(2)と語ります。フィリピ書は、礼拝をするために集っている者のために、そこで読まれるために書かれました。書き手も読み手も、不相応な者でありつつ、神の「臨在」を求めました。

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