説教:岩河 敏宏 牧師(埼玉和光教会)
創世記2:1-9
創世記には人の創造が二種類(①1:26-28と②2:7)記され、①では、神の似姿(他の被造物にはない特別な存在)として、人は神の言葉(神の御心)を聞いてそれを行うことが出来る(「支配」は「治める」の意)存在で、被造物の世を調和と和解に導く使命が示され、①での人は集合体の意味合いが強い。②では人に定冠詞が付され、個人の意味合いが強い。神が個として人を創造する際、「神が自身の手で“土の塵を捏ね”“形づくり”“鼻に息を吹き入れる”」の記述からは、唯一無二性・親密性を読み取ることが出来ます。そして“土の塵”とは、どこにでもあり、特別でないものを象徴しており、それを材料に手間を惜しまずに“人(私)”を創造されるということは、神が特別でないことを尊ばれること、世の価値観からすれば掃いて捨てられてしまうような“私”を、かけがえのない一人として創造して、大切にされるのが創造主なる神なのだと、聖書は最初に語っているのです。私たちの価値観は特別なもの(希少性・優位性)を尊び、それとは逆に特別でないものには価値が無いように感じてしまいます。でも、本日の聖書箇所は、私たちのその考え方を根底から崩します。②では、形(容姿・完成度)への具体的な言及は無く、神との繋がり(命の息を吹き入れられて生きる者となる)が厳しい現実を生き抜く鍵だと伝えています。私たちは現実の社会の中で、他者との比較や社会的な評価にさらされる時、「自分は普通だ」「何の取り柄もない」と感じ落ち込む時こそ、優れているから大切なのではなく、神が自身の息を吹き入れた存在だから既に大切にされていることを心に留め、今を大切に歩む者となりたい。

