毎週の説教メッセージ

off 一粒の麦は地に落ちなければ

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説教:加藤 久幸 牧師

ヨハネによる福音書12:20-43

[過越]祭には外国人が来ていたことが想像できます(20)。21節の「イエスにお目にかかりたい」は「イエスを信じたい」という意味を帯びています。ギリシア人の名前をもつ2人の弟子たちが、その旨を取り次ぎます(21-22)。このことをきっかけに、イエスは次のように語り始めました。「人の子が栄光を受ける時が来た。はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」(23-24)。ヨハネ福音書の伝え方は、イエスが苦悶しつつも覚悟を決めていくようでもあり、栄光と受難・悲惨を同時に語ります。そのような経緯(いきさつ)が、今日の27-28節にもあります。「今、わたしは心騒ぐ…『父よ、わたしをこの時から救ってください』と言おうか。しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ。父よ、御名の栄光を現してください」。イエスの苦悩に、天からの声が聞こえます。その声へのイエスの応答が30-33節にありますが、「わたしは地上から上げられる時」(32)は、十字架の死を表わし、「御自分がどのような死を遂げるかを示そう」(33)としているのでしょう。イエスは、その時から逃げることはなく、イエスの従順・十字架は、人の子の栄光(23)・神の栄光(28)を現します。世の何ものにも、命にも執着しない、神への従順にこそ神の栄光が表されます。そのようなイエスの在り方が示されています。「主よ、だれがわたしたちの知らせを信じましたか。主の御腕は、だれに示されましたか。」(38)

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