毎週の説教メッセージ

off 願っている限りは

tokorozawa-mikuni to 未分類  

説教:加藤 久幸 牧師

エフェソへの信徒柄への手紙12:11-22

「二つのものを一つにし…敵意という隔ての壁を取り壊し」(14)という「一つにする」は、一方が他のものを取り込むというような統合ではありません。十字架刑は悲惨な暴力であり、とりわけ、十字架につけられたイエスの姿を想う時、私たちには弱さが溢れてきます。弱さや悲惨は新しい契機を生みだします。イエスの十字架は、「双方を御自分において」(15)、「一人の新しい人」=「平和を実現」する存在へと、創っていきます。「両者を一つ」(16)の存在へ、互いに平和を祈り歩む者としていくことは、神の御心でもあります。[「両者を…神と和解させ」(16)という言葉にも注目。] 今日は沖縄の「慰霊の日」ですが、私は難民の歩みを祈念する時としても考えたいと願っています。「あなたがたは もはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族で」す(19)。今日の聖書には、異なる二つの者が、敵意によって、遠ざかるのではなく、近づき、まるで一つのようになる可能性が、語られています。また、「十字架を通して」(16)、弱さや悲惨さを絆・契機にして、新しい歩み・家族のような関係が始まることを、告げています。弱さや悲惨さを絆にする歩みは、種が蒔かれ時を経て成長していくように、揺らぐことのないある種の「強さ」を秘めています。どんなに時間がかかり困難があろうとも、諦めない。諦めなければ、平和は実現し、新しい世界は来ます。そのように願い歩む人々を、聖書は「聖なる民に属する者、神の家族」(19)と呼んでいます。

Comments are closed.