説教:岩河 敏宏 牧師(埼玉和光教会)
マタイによる福音書9:1-8
マタイ福音書8章は、様々な病の癒しが記されており、その癒しが「罪の赦し」と密接に関係していることが9章で取り扱われています。神がイエスの誕生に際し「自分の民を罪から救う者=イエス」、「神が我々と共におられる=インマヌエル」、という使命を負う者であることを明記します(1章21節、23節)。マタイ福音書で、イエス自身が「罪の赦し」に直接言及するのは本日の箇所が最初です。「中風の人をいやす」記事はマルコやルカにもあり、イエスの働きの中でも重要であったことが伺えます。マタイ版の特徴は、イエスが「その人たちの信仰を見て」(2節)と語った際の、連れて来た(献げる)人たちの行動が記されていないことです。並行句のマルコとルカの両福音書では、群衆に阻まれていたのでイエスがいる付近の屋根をはがすという具体的な描写があります(マルコ2:4/ルカ5:19)。マタイ福音書は、この描写を省くことで、信仰が人間の熱心な行いでなく、神の赦しに信頼する(献げる)という姿勢にあることに意識をむけます。この段落(9:1-8)を通して中風の人は、自身の人生(可能性)に対して消極的で、神への信頼という点でも弱い印象を強く受けます。現在の私たちにも、神の御心を体現する自身の行いの強弱が信仰の強弱に比例するのでは、という意識があります。しかし、イエスはそれとは全く関係なく「神はあなたの罪を赦している」(2節)を宣言されるのです。神が私の可能性を諦めないのなら、私自身も…と応答する者になることをイエスは期待しています。