毎週の説教メッセージ

off 葬りの日のために

tokorozawa-mikuni to 未分類  

説教:加藤 久幸 牧師

ヨハネによる福音書12:1-11

ヨハネは、香油を塗った女性をベタニア村のアリアと名指しします。そのことから、このマリアの行為はラザロのよみがえり(11章)に対する思いであったと想像できます。マリアは、イエスの足に香油を塗り、自分の髪でぬぐいます(3)。なぜ、頭ではなく、イエスの足なのでしょうか。象徴的に言えば、イエスの足というのは、イエスがこの世の塵と埃にまみれながら歩まれた足、十字架に向かって一歩一歩歩まれた足、です。言うならば、イエスが私たち人間にご自身を捧げ給うた献身、その完き献身を足が象徴しているとも感じます。そのイエスの足に対して、マリアは自分の持っていた最高のもの(ナルドの香油)を注ぎ、もてる自らの毛で、ぬぐいます。それは、まさに、イエスに対するマリアの自己献身を示す行為です。イエスとマリアの間には、与える者と受ける者の一致・調和があふれています。ユダが、マリアを非難し始めます。マリアの行為は、益を生まず…。しかしイエスは応えます。「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから」(7)。イエスだけは、感謝と讃美を表したマリアの行為を、受け取っています。そして、ご自身の葬りの準備として受けとめ、その献身を用いてくださいます(マルコ14:9参照)。高価なものを売って益を得るよりも、「取っておいた」つまり「用いた」とイエスによってマリアの献身が受けとめられたように、私たちにとっても、信仰の歩み・献身が生きる上で必要なことなのです。

Comments are closed.