毎週の説教メッセージ

off あなたがたも離れたいのか

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説教:加藤 久幸 牧師

ヨハネによる福音書6:60-70

事の発端は、「五千人の供食」の物語にあります。その後の展開で、イエスは「わたしが命のパンである…」(35)と言われました。「このパン(すなわちイエス)を食べる者は永遠に生きる」(58)と語ったと、イエスの言葉をうわべの「文字通りに」捉えるなら、「実にひどい話だ」(60)となります。噛み合わない状況の中で、イエスはこう話し始めます。「あなたがたはこのことにつまずくのか。それでは、人の子がもとにいた所に上るのを見るならば…。命を与えるのは‟霊”である…わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である」(61b-63)。そして、64節にあるように、イエスは、彼の言葉を信仰をもって聞くことができない人たちがいることを知っています。その後、イエスは、「わたしはあなたがたに、『父から御許しがなければ、だれもわたしのもとには来ることはできない』と言ったのだ」(65)と、言明します。ヨハネ福音書を読む時、イエスの時と福音書成立の時を想います。ヨハネ福音書は「イエスと共に歩まなくなる」状況があることを、指摘します。私たちの想定することが「何の役にも立たない」(63b)と思う時、イエスは「あなたがたも離れて行きたいのか」(64)、「あなたはどうなのか」と、問いかけます。福音書では、ぺトロの告白がなされ、ユダの裏切りが暗示されています。しかし、イエスはユダを名指ししているわけではありません。誰もが、「信じるか否か」の現実に立たされます。「父(神)のお許しがなければ…」(65)とのイエスの言葉が響きます。

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