毎週の説教メッセージ

off 神の業がこの人に現れるため

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説教:加藤 久幸 牧師

ヨハネによる福音書9:1-12,35-41

イエスは、生まれつき目が見えない人に対し、「神の業がこの人に現れるためである」と明言し(3)、「シロアム―『遣わされた者』という意味―の池に行って 洗いなさい」と言われ」ました(6-7)。彼は「行って洗い、目が見えるようになっ」た(7)ので、人々の間で騒ぎになります。共観福音書では、癒しの奇跡は、人々の驚きをもって終わります。ヨハネ福音書においては、今日の物語も「後日談」がついています。今日は、その最後の部分(35-41)を併せて読みます。「イエスは 彼が外に追い出されたことをお聞きにな」ると、「彼に出会」われた(35)。イエスが「人の子を信じるか」と尋ねると(35)、彼は「その方を信じたいのです」と応じます。するとイエスは、「あなたは、もうその人を見ている。あなたと話しているのが、その人だ」と応えます(37)。実際、彼の目がイエスを見ているのですが、ここでの「見る」は、別の意味をも考えさせられます…。彼は、天来の力によって癒され、癒された者が天来の力を証しする者として歩むようになりました。彼の言動は、この世にあって「外に追い出されて」(35)も、天来の力によって、「遣わされた者」として生きる者になりました…。イエスの「神の業がこの人に現れるため」(3)という言葉は、すべての人に向けられているのではないかと感じます。一人一人が、神の力を受けて、神の力を信じ、神の業を賛美するよう、招かれています…。「わたしたちは…行わねばならない。わたしは…世の光である」(4-5)という言葉が、響きます。

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