説教:加藤 久幸 牧師
サムエル記上2:1-10
今日登場するハンナは、子どもがいないことで悩み苦しんでいました(1章参考)。彼女が歌うのは、祈りがその通り実現したからでしょうか。もちろん、その喜びは確かにあったと想像します。しかし、それとともに、人にはなかなか理解してもらえない自分の悩み、嘆き、苦しみを、神は聞いて受けとめてくださった。一人ではあるけれども、孤独ではないことを、ハンナは身をもって知ったのではないでしょうか。歌・祈りには、歌・讃美について(1)、行いについて(3)、戦いについて(4)、食べ物・子どもについて(5)、命について(6)などが、社会的な広がりをもって歌われています。この歌は、ハンナの「高くされる角」(1、強さ)と主(メシア)の「高く上げられる角」(10、力)の両方を、名誉が回復されるように、見える形で表しているのでしょう。つまり、この歌・祈りは、王の詩編としても、個人的な家族の祝いの歌としても、受けとめられます。そう考えると、この歌・祈りは、ハンナが独創的に歌い展開しているというより、イスラエルがすでに長い間歌い続けてきた歌に、その声を重ねていると言えるでしょう。この歌は、全体として、未来と世界が「開かれる」と歌います。丁寧な説明はなされていませんが、明らかに変化・逆転を強調し、「主は 命を絶ち…命を与え、陰府に下し…引き上げてくださる」(6)と、この方にのみある力を、現実の「復活」を象徴的に讃美しています。私たちも、主が来られる(アドヴェント)・クリスマス(神の介入)の意味を思いめぐらしたいものです。

