説教:加藤 久幸 牧師
イザヤ書40:1-11
第2イザヤは、天上の会議に陪席しているかのように、語ります。天上の会議の諸力に対して、主なる神は「慰めよ」(複数命令形)と命じています。この姿は、「神はいない」「神は働かない」と考えられていた現実と全く違うのです…。また、天上の諸力に「エルサレムの心に語りかけ 彼女に呼びかけよ…罪のすべてに倍する報いを 主の御手から受けた」(2)という呼びかけや、「主のために、荒れ野に道を備え わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ」(3)という呼びかけは、驚きです。神は、地上の再建の詳細を、述べてはいません。しかし、神は、戦争の混沌に代えて、祝福の回復の幻を告げています。それだからこそ、「主の栄光がこうして現れるのを 肉なる者は共に見る」(5)と、告げています。「主の栄光」は神の顕現と神への賛美と関わりますが、第2イザヤの場合は第1イザヤと結びつきます(6章など参考)。今日の聖書は「呼びかけよ、と声は言う」(6)と続きます。この「呼びかけよ」は1人称単数で第2イザヤに向けられたものと想われますが、声は、天上の諸力も地上の民も「草に等し[く]…野の花のようなもの」(6)で、「主の風が吹きつけ」ると(8)「枯れ」「しぼむ」(7,8)が、「神の言葉はとこしえに立つ」(8)、全てを新たにする力がこの神にあると告げるのです。第2イザヤは、「良い知らせを…伝える者よ…声をあげよ…恐れるな」(9)と導かれ、「見よ、あなたたちの神」(9)との使信を始めます。勇士のイメージ(10)とは異なり、羊飼いのイメージ(11)で神の姿を語ります。「神はいない」と思われようが、人知れず、新しく歩み出そうとしていた神の姿に驚かされます。

