説教:加藤 久幸 牧師
エレミヤ書36:1-10
今日の聖書の関連として、列王記下22-23章にある、一つの書物の発見に端を発するヨシヤ王の改革に目をとめます。その列王記下には、ヨシヤ王の後を継いだのはヨアハズで、ヨアハズの運命とその後に立てられたヨアキムの治世、エジプトの政策などが、報告されています(23:31-37)。本当に、この時代の歴史を振り返るのは難しいと思います。今日の聖書にあるように、神さまはなぜ「わたしが ヨシヤの時代から今日に至るまで、イスラエルとユダ、および諸国について、あなたに語ってきた言葉を残らず書き記しなさい」(2)と、お命じになったのでしょうか。その意図を、神さまは「わたしがくだそうと考えている すべての災いを聞いて、それぞれ悪の道から立ち帰るかもしれない。そうすれば、わたしは彼らの罪と咎を赦す」(3)とも語っています。エレミヤは「主の神殿に入ることも禁じられてい」た(5)ようなので、バルクに次のように命じます。「書き記したこの巻物から 主の言葉を読み、神殿に集った人々に聞かせなさい。また、ユダの町々から上って来るすべての人々にも読み聞かせなさい」(6)。何もなかったことにはできない、そのことを伝えなければならない、それでいながら、その証拠・文書すら隠滅されてしまうことが…。神さまの思いと同時に、このアドヴェントの時期、主の言葉を「読み聞かせる」ことに自らの人生と命をかけた、旧約の[記述]預言者の姿を想います。そして、やがて来たり給う主イエスが、神の言葉をどのように「読み聞かせ」歩まれたのかを想います。神の存在を知っているだけでなく、神の言葉を聞き従う大切さを想うものです。

