説教:小手川 到 牧師
マタイによる福音書 5章1節~10節
「幸いなるかな、心の貧しき者よ」。これは群衆に対する主イエスの思いや深い憐れみがあふれ出て生まれてきた祝福の言葉です。心が貧しいというのは心が卑しいという意味ではありません。食べ物にもこと欠く人たちに対して、それが幸いと言っているのではありません。ここで祝福されている貧しさとは、心の貧しさのことです。生きていくための資源が自分の中には全くない、必要な助けを神の中に見出すしかない、その心の貧しさのことです。山上の群衆が共通して抱いていた願い、それはただ「幸せになりたい」ということでした。人間としての当然の願いです。しかし主イエスが、「心の貧しい人々は幸いだ」、「悲しむ人々は幸いだ」、そう言われたのは、「こうしたら幸せになれますよ」というような幸せの秘訣や処世訓ではありません。群衆は主の言葉に何かを感じ取ったのだと思います。「このお方は何かを持っている。このお方こそが真の幸いをもたらしてくれる」。山の上で群衆に深い憐れみを注がれたお方が今も生きておられます。神の支配がここにあります。私たちに喜びをもって「幸いの祝福」を語りかけてくださるのは、私たちの救い主イエス・キリスト、このお方なのです。

