毎週の説教メッセージ

off 和解のつとめ

tokorozawa-mikuni to 未分類  

説教:最上 光宏 牧師

コリントの信徒への手紙②5:16-21

 終戦70年の安倍首相の談話は、過去への罪責も、アジアの諸国との和解を求める意志も無い形式だけのもので、大きな失望を与えました。かつてドイツの大統領であったヴァイツゼッカーは、ドイツの敗戦40年を記念する演説の中で、「過去の罪を心に刻むことなしに和解はありえない」と述べて、ユダヤ人の心の傷にふれ、「心からの和解を求めます」と率直に国の過ちを認め、赦しと和解を求めました。大きな違いです。 「和解」とは、本来神と私たちとの関係を示すもので、私たちの罪をキリストが犠牲となって取り除いてくださったことによって生まれた「神との平和」を意味します。私たちはこのような神との和解を通して、他者との和解を求め、共に生きる新しい関係を造りだすのです。「神はキリストを通してわたしたちをご自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました」とある通りです。私たちキリスト者は、そのような和解を生み出す「キリストの使者」なのです。 49歳で亡くなった私の友人(沢正彦牧師)は、韓国に対する日本の罪責に心を痛め、自らを「贖罪的求道者」と名乗って、戦時下の日本の罪責を担って韓国に渡り、ハングルで「日本キリスト教史」、日本語で「韓国キリスト教史」を著し、両国の和解の架け橋となりました。

Comments are closed.