毎週の説教メッセージ

off 神が味方なら

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説教:最上 光宏 牧師

ローマの信徒への手紙8:31-39

 私たちは人を見るとき、つい、その人が自分にとって益をもたらす「味方」か、損失や危害を与える「敵」かと、分けて考えがちです。ヨブは、富んでいた時は皆から慕われ、多くの友に囲まれていましたが、財産や子どもたちを失い、自分の体にいやな腫れ物が覆うようになると、多くの人から罵られ、妻からも侮られ、親しかった友人たちさえ「敵」になってしまったように思われたのです。彼はそのような孤独感の中で、神に「あなた自ら保証人になってください。他の誰が味方をしてくれるでしょう」(ヨブ17:1)と訴えています。私たちの究極の味方は、神なのです。しかしその神も、ときには遠く「敵」のように感じられることもあるのです。パウロは「もし神がわたしたちの味方であるならば、誰がわたしたちに敵対できますか」と述べています。この「もし味方なら」という仮定法は、神の側に味方でないときがあるということではなく、私たちの側に神に背を向け、敵対していることがあるということです。けれども神の敵であったような「わたしたちのために、み子をさえ惜しまず死に渡された方」は、常に私たちの味方として「万事を益としてくださる」のです。この神の愛から、私たちを引離すものは何もないのです。「死も命も天使も支配するものも…どんな被造物も、神の愛から引離すことはできないのです」。

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