毎週の説教メッセージ

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説教:加藤 久幸 牧師

テモテへの手紙一6:1-13

1-2節に奴隷のことが出てきます。パウロは奴隷についてよく語っていますが、パウロは政治的・社会的に直接的な変革をもたらそうとしなかったのでしょうか。このことは、キリスト教の宣教のあり方に関わる、基本的な問題です。教会の宣教は、社会の格差や人権軽視の現実を自覚しつつも、人々にキリストの福音を宣べ伝えることを、活動の第一としました。福音宣教は、社会の格差や差別の直接・即事の解消というより、人々の間に平和を作り出すという、息の長い取り組みであったと想います。平和の完全な実現の時まで、宣教の取組は続きます。イエスの生き様、イエス言葉「もはや、わたしは、あなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ」(ヨハネ15:15)は、どのように響いたでしょうか。世の現実(3-5)に触れた後、聖書は「信心は、満ち足りることを知る者には、大きな利得です」(6)と語り始め、「食べる物と着る物があれば、わたしたちはそれで満足すべきです。…欲望が、人を滅亡と破滅に陥れます」(8-9)と語ります。富そのものではなく、富を欲する欲が悪だと語っています。富の用い方・富みの分配がわからない、倫理が欠如し成熟していない社会においてこそ、私たちがどう生きるのか、今日の聖書は呼びかけています。社会の各々の所で(主人と奴隷の間においても)「平和を作りなさい」という主の福音(参考 ルカ16:1-13)に招かれ、教会は引き継いだのでしょう(11-13)。

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