毎週の説教メッセージ

off 愛する協力者

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説教:加藤 久幸 牧師

フィレモンへの手紙1-25

パウロは、挨拶(1-3)の後、4-7節で、手紙の受け手であるフィレモンに、彼の愛と信仰について、前置きのように書いています。当時、悪事(参考18)を働いたと見なされた逃亡奴隷への対応を見ておくことは、意味があると思います。しかし、パウロは、厳しい奴隷(制)の現実については、直接語っていません。パウロは、キリスト教的同情(12節)と、フィレモン自身のキリスト教的負債(19節)について、語ります。そして10節「監禁中にもうけたわたしの子オネシモのことで、お願いがあります」と、切り出します。オネシモの入信の経緯も詳しくはわかりませんが、パウロの願いは、「愛に訴えてお願いします」(9)と語っています。全体として、パウロは、奴隷も「キリストに仕えている」、その主人・所有者も公正な扱いをする「神という主人を天にもつ」、そして、奴隷もその主人も「キリストの奴隷」であるということを、想起させています。そこから、パウロは、「オネシモは…愛する兄弟であるはずです」(16)と、「主の兄弟」という観点から、この願いを書いています。もしこの手紙に題をつけるとすれば、「キリスト者としてのフィレモンの関わり・自由」ということになるでしょうか。今日の説教題「愛する協力者」は、挨拶の「愛する協力者フィレモン」(1)や、結びの「わたしの協力者」(24)から、来ています。私たちの主人はキリスト・イエスであり、私たちも、その主から愛される協力者であるとの自覚のもと、私たちの歩みを成したいものです。

今日の説教題に、「愛する協力者」と付けました。それは、挨拶の「愛する協力者フィレモン」(1)や、結びの「わたしの協力者」(24)から、来ています。私たちの主人はキリスト・イエスであり、私たちはその主人から愛される協力者であるとの自覚のもと、私たちの歩みを成したいものです。

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