毎週の説教メッセージ

off 共に恵みにあずかる者

tokorozawa-mikuni to 未分類  

説教:加藤 久幸 牧師

フィリピの信徒への手紙1:1-11

パウロは、挨拶(1-2)の後、フィリピのキリスト者の過去(3-6)・現在(7-8)・未来(9-11)を思い、祈っています。挨拶で、パウロは、神の恵みがあるようにと祈っていますが(2)、3-6節では感謝を言い表わしています。恵みと感謝という行為は、神から人間に向けられたものであるとき「恵み」と言われ、人間から神に向けられたとき「感謝」となります。パウロは、この両方を強く意識しているように想います。パウロは、「監禁されているときも、福音を弁明し立証するときも…」(7)と、現在のことを語り始めます。実際パウロは監禁されていますが(1:13)、彼の言葉遣いからすると、被告席に立つのは神の福音そのものという、理解があるようです。そのような脈絡から、7節「共に恵みにあずかる者」という言葉を聞きましょう。パウロは、福音宣教や神の働きへの参与とは言わずに、監禁や法廷と関連づけ、「共に恵みにあずかる」という言い方をします。ですから、1:29で「あなたがたには、信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられ」と表現しています。パウロは、フィリピの信徒たちを「共に恵みにあずかる者」と見なし、「喜びをもって」(4)祈り、「心に留めている」(7)と語ります。そして、今後(未来)も「キリストの日に備えて」(10)、「知る力と見抜く力とを身につけて…愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように。…」(9-11)と祈っています。親しいが故に、パウロはフィリピ教会に福音を伝える必要を感じたのではないでしょうか。

Comments are closed.