毎週の説教メッセージ

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説教 (教会年主題説教):最上 光宏 牧師

ルカによる福音書10:25-36

 神は人を創造されたとき、「人が独りでいるのは良くない」と、共に生きる相手をお造りになりました。その他者が「あばら骨」で造られたということは、共に生きる「心」を共有しているということです。「隣人を自分のように愛しなさい」という戒めは、そのような前提に基づいているのです。しかし、私たちの現実は、共に生きるべき者同士が、互いに敵対し争い合っている状況です。どうしたら他者を愛し受け入れることが出来るのでしょう。主イエスは、「わたしの隣人とはだれか」とうそぶく律法学者に「良きサマリア人」の譬えを語られました。追い剥ぎにあって半殺しにされて倒れている旅人に対して、祭司とレビ人は向こう側を通り過ぎて行きます。それに対してユダヤ人から嫌われ差別されていたサマリア人は、憐れに思い、近寄って傷の手当てをし、宿屋に連れて行って介抱し、宿屋の主人にお金を払って、また帰りに寄ると約束します。主イエスはこの譬えの後で、「だれが傷ついた旅人の隣人になったと思うか」と問い、「行って同じようにしなさい」と命じました。自分から近寄って隣人になることが大切なのです。助けを必要としている人は私たちの前にいるからです。この良きサマリア人は、イエスさまのことでもあります。主の愛に応えて、私たちも良き隣人となり、共に生きたいと願います。

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