毎週の説教メッセージ

off 失われた者

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説教:最上 光宏 牧師

ルカによる福音書15:11-15

「放蕩息子のたとえ」の主人公は、彼の父親です。この父親には二人の息子がいて、その弟が父親から財産を譲り受けて、遠くに旅立ち放蕩に身をもち崩してしまったのです。豚の餌にさえ手を伸ばしたくなるような飢えと絶望感の中で、父を思い起こし、息子と呼ばれる資格はないが、下僕として雇ってもらおうと、帰途につくのです。父親は、そのような息子の帰りを待ちわびていて、走りよって抱き寄せ、最良の着物、指輪、履物を調え、肥えた子牛まで屠って迎えたのです。「死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかった」と喜ぶ父親の中に、比類なき神の愛を覚えます。 他方、兄は、弟の帰還に腹を立てて家に入ろうともしないのです。父親は出てきてなだめるのですが、「わたしは何年もお父さんに仕えてきたのに、子ヤギ一匹くれなかった。ところがあなたの息子が娼婦どもと一緒にあなたの身上をつぶして帰ってくると、肥えた子牛を屠って歓迎する」と不満を述べたのです。兄は弟ともに父の財産を譲り受け、父の元で十分に満ち足りた生活を送ってきたのです。彼の怒りは弟との比較による不満であり、嫉妬(ねたみ)によるものです。しかし、父なる神はこの二人を比較せず、同じように愛し、慈しみ「共に喜ぼう」と呼びかけているのです。たった一人の弟を受け入れられず、父の心を理解し得ない兄もまた、「失われた者」なのです。私たちは弟でありつつ、兄でもあるのです。

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