毎週の説教メッセージ

off バラバかイエスか

tokorozawa-mikuni to 未分類  

説教:最上 光宏 牧師

ルカによる福音書23:32-43

聖書の中で、ピラトの裁判ほど不可解で不合理なものはありません。イエスの無実を認め、「釈放しょう」と宣言しつつ、十字架刑に処してしまうのです。祭司長たちに扇動された群衆が、「十字架につけろ」と強く要望したからです。民衆の声を聞くことは、民主主義の基本ですが、民衆が間違った情報によって操作される時、暴徒化する危険もあります。国民一人一人が、正しい情報に基づいて、冷静に判断することが必要です。ピラトは、祭司長たちの妬みであることを知りつつ、祭りの際の恩赦の慣例によってイエスを釈放しようとして「バラバかイエスか」と問い、それがあだとなって暴動と殺人のかどで捕らえられた死刑囚バラバを釈放し、イエスを死刑にする結果になったのです。自己の身の保全しか考えないピラトの政治責任は厳しく問われなければなりません。しかし神はそのような、不合理な出来事を通して、この世に大きな救いの御業をなさったのです。このキリストの十字架の死を通して、すべての人間の罪が赦され、神との和解の道が開かれたからです。ラーゲルクヴィストは、『バラバ』という小説の中で、イエスの身代わりの死よって、自由の身となったバラバのその後の人生を興味深く描いています。私たち一人一人も、罪の故に滅びるべき身でありながら、キリストの身代わりによって生かされているのです。主の恵みに応えて生きたいものです。

Comments are closed.