毎週の説教メッセージ

off 方向転換

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説教:加藤 久幸 牧師

ヨハネによる福音書20:1-18

今日は、イースター(復活日)の礼拝です。ヨハネによる福音書は、復活の物語においても、他の共観福音書(マタイ・マルコ・ルカ)にはないことが出てきます。「イエスの愛しておられた弟子」の存在と、その強調です。空っぽの墓を見たペトロとその弟子は「イエスは必ず死者の中から復活されることになっている」という聖書の言葉をまだ理解しておらず、家に帰っていった(9-10節)と、ヨハネは伝えています。しかし、それとともに、「イエスの愛した弟子」は(イエスの復活を)「信じた」(8節)、そういう可能性を秘めた伝え方にもなっています。
後半は、共観福音書にも共通する、最初に(復活し生きている)主を伝えたのは女性であったという点であります。マリアは、弟子たちのところへ行って、「わたしは主を見ました」と告げ、主が言われたことを伝えます(18節)。「ラボニ」(先生)ではなく、「主」(キリスト)を見たと伝えるのです。復活の主を見た、・信じる行いには、もともと主体的であり、個性的であり、多様性があります。
私たちの人生も与えられ限りあるものですが、「空っぽの墓」を覗きこむような生き方から「命」にまなざしを注ぐ生き方へ、とこしえの命を約束する方を仰ぎ見る歩みへ、方向転換することが問いかけられ促されています。一人一人の生を大胆に転換させる―それがイエスの復活の出来事に秘められた「力」であり、「不思議」です。

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