毎週の説教メッセージ

off 命に飲みこまれる

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説教:加藤 久幸 牧師

コリントの信徒への手紙二4:16-5:10
創立50周年おめでとうございます。…4:16-18でパウロは、[神が関与する]「見えないもの[だけ]は永遠に存続する」と示しています。「なぜなら」(5:1)-この言葉は共同訳聖書では訳されていませんが-と、希望の確信を語ります。すなわち、永遠[の命]、神によって生かされる命について語ります。パウロは3つの比喩で[暗]示します。①永遠の住みか(1節)、②天から与えられる住み家(→「衣」)を上に着たい(4節)、③体を離れて主のもとに住む(8節)。これらは、他の箇所でも似た表現があり、馴染みがあるでしょう。触れておきたいことは、「目に見える」有限の中に、「目に見えない」永遠、神の関与がすでにあるということです。「わたしたちを、このようになるのにふさわしい者としてくださったのは、神です。神は、その保証として〝霊″を与えてくださったのです」(5節)。パウロは、有限の中に永遠に通ずる霊が与えられている畏怖と感謝を、覚えています。4節「地上の住みかを脱ぎたいからではありません」に注目します。また9節の「体を離れて、主のもとに住むことをむしろ望んでいます」という切望は、コロナ禍にある私たちに新鮮に迫ります。「離れていても共に」ですが、直接に相まみえたい。神のもとに住みたいのです。「見よ、わたしはあなたと共にいる」とう方が、全てを導いてくださいます。「だから、体を住み家にしているとしても、体を離れているにしても、ひたすら主に喜ばれる者でありたい」(9節)のです。

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