毎週の説教メッセージ

off あなたたちはわたしの証人ではないか

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説教:加藤 久幸 牧師

イザヤ書44:6-17

今日の聖書は「真の神による『神々の裁判』」と語り得る内容です。人が崇拝する「神(神々)」とそれを信仰する人間の姿が、9-17節に語られています。…今日の聖書は裁判をイメージして語られています。では、誰が被告に、誰が疑念をもたれているのでしょうか。実は神の権威が争点です。イスラエルは破れ、その民を導く神は信頼に値しない、そういう響きが背景に感じさせられます。そして強力と見えるバビロンの神々の祭儀・信仰への「同調」脅威があります。無名の預言者は、民の嘆きの中で、慰めと希望を語ります。9—17節は「強大な『神々』の実際は…」と証言するようなものでしょうか。それに対して、預言者の口を通して語られる主の言葉は、不思議でありながら真実があるように聞こえます。「わたしは初めであり、終わりである。わたしをおいて神はない」(7節)。その言葉は、人間の経験の中で何が起こったのか、神々があるいは神が何をしたのかという「歴史的」証言に焦点をあて、想起させます。8節「恐れるな、おびえるな。既にわたしはあなたに聞かせ告げてきたではないか」。総論的に言えば、神々が(特に一部の人間が)利益追求のために作りあげてきた構造の中に差別や抑圧があり、そして、その構造が崩壊する中で被造物の生存権がさらに危うくなる現実があります。そのような現実において、「いと小さき者」を顧み語りかけ、(再)創造をしてきたのはわたしではないか、という声が響きます。

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