毎週の説教メッセージ

off 御言葉を宣べ伝えなさい

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説教:熊江 秀一 牧師 (関東教区副議長・大宮教会)

テモテへの手紙二4:1-5

牧師就任式にあたり、パウロがテモテに命じた「御言葉を宣べ伝えなさい」が与えられた。「宣べ伝える」は王の布告を人々に伝える光栄な使命である。神は伝道者にそれにはるかに勝る特別な使命を与えた。「御言葉」は「ロゴス」である。神の言葉(ロゴス)は肉を取りキリストとして世に現われた。私たちはキリストの福音を宣べ伝える。パウロはこの命令に合わせて三つを勧めた。「折が良くても悪くても励みなさい」。「とがめ、戒め、励ましなさい」。伝道とはどんな時も、罪を示して主に立ち返らせ、福音によって励ますことである。「忍耐強く、十分に教えるように」。「忍耐強く」は愛の賜物。「十分に」は「諦めず」である。伝道とは愛であり、諦めないことである。それは何よりも私たちに対する神のお姿である。

パウロは「だれも健全な教えを聞こうとしない時が来る」と言う。これは教会外ではなく、教会の中で起こる。それはすでに始まっている。だからパウロは「身を慎み、苦しみを耐え忍び」「福音宣教者の仕事に励み、自分の務めを果たしなさい」と命じる。これは今の時代に伝道者と共に教会の群れが聞くべき言葉である。この命令は、パウロ自身が「神の御前で」「キリストの御前で」その出現と御国とを思いつつ、厳かに」命じた神の言葉である。教師を迎えた所沢みくに教会がますます御言葉を宣べ伝えるように主の聖霊を祈る。

パウロは、今まで有利であったものは、キリストのゆえに塵芥と見なすようになりました。むしろ、信仰に基づいて神から与えられる義、キリストとその復活の力を、その苦難にあずかることを知ることが価値であり、利益だと言う。キリストを理解するために、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために目標を目指してひたすら走るということです。そしてパルロに倣いなさいと。「十字架に敵対して歩んでいる者」は放縦に身を任せえてこの世のことしか考えていません。私たちの本国は天にあります。自分の義を追求せず、地上にあるものに思いを向けず、もろもろの誘惑と試練の中にあっても、天にあるもの、上にあるものを追い求めましょう。所沢みくに教会は50周年記念礼拝を先週しました。50年間、始まりからいろいろな試練があったと想像しますが、その間教会員の皆さんがイエス・キリストの信仰の証しされてきました。私の勤めている本所賀川記念館も昨年50年を迎え、関東大震災から始まる前史を入れると2023年に100年を迎えようとしております。記念館も何もないところから「poor(貧しい)はpure(純粋)だ」と言われ始まったそうです。一日一日が、一年になり、50年になります。先達たちのように目標を目指して今週もひたすら走り(歩み)ましょう。

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