毎週の説教メッセージ

off 誘惑を受ける時に

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説教:加藤 久幸 牧師

マタイによる福音書4:1-11

今日の聖書は、「試み」と「誘惑」の二つの意味が響いています。1節後半:「(聖)霊に導かれて(イエスは)荒れ野に行かれ」(神の試みを受けられ)た」。同前半:(その時)悪魔から誘惑を受け」た。2節の「40日間、昼も夜も」は出エジプト後の荒野の民と神を想い起こします。悪魔(3節「誘惑する者」)とイエスのやりとりが、いずれも聖書を基盤とし、「誘惑する者」の1番目(3節)と2番目(6節)の呼びかけは「(もし、あなたが)神の子なら…」と始まります。これは明らかに、3:16の「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という天からの声、イエスの生に関連しています。悪魔の3番目の誘い(8節)では、「もし、ひれ伏して わたしを拝むなら…」と誘います。最後になって「わたしを拝むなら」と出てきますが、この意図は「誘惑する者」において最初から一貫しています。イエスがその生から滑り落ちることこそが「誘惑」の狙いでありました。イエスの応え(4,7,10節)は、いずれも聖書(申命記8:2-3、6:16、6:13)を用いています。「わたしの恵みは あなたに十分である。力は 弱さの中でこそ 十分に発揮される」(Ⅱコリント12:9)。「誘惑する者」に対するイエスの生は、十戒の第1戒「あなたには わたしをおいて 神があってはならない」(出エジプト記20・3)という確認に関わっています。その実存は、神と共に歩む「自由の民」として、神や聖霊や「偶像」を利用して「自らが神になる」という誘惑に抵抗する「礼拝の民」としての、真実な歩みを示しています。

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