毎週の説教メッセージ

off ただ謙虚に、そして大胆に

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説教:加藤 久幸 牧師

マタイによる福音書15:21-31

「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」(24節)。このイエスの発言に、イエスの自己理解と宣教の方針が明確に現れていると想います。唐突な質問をしますが「イエスは異邦人伝道をされたのでしょうか?」。この問いへの答えが、今日のイエスの言動の受容に関連してきます。私は(優先順位・方針としては)「イエスはしなかった」と考えます。今日の聖書の場面が、考えるヒントを与えてくれます。イエスは、なぜ「ティルスとシドン」(21節)という異邦人の地に行かれたのでしょうか。ある解釈では、イエスの宣教は厳しく、「逃れる」「退く」旅であると考えます。しかし、マタイ4章のイエスの宣教伝道の始めで触れたように、ガリラヤ北方境界線にユダヤ人たちがいたのです。その民の様はまさしく「失われた羊」であったのかもしれません。イエスが労苦を惜しまず「失われた羊」を尋ねたことを想像します。イエスの宣教には「方針」があったと、私は想います。そしてこの時、一つの事件、外国人の女がイエスに迫ったのです。この女性を想い、今日の説教題を考えました。しかしもう一人、「ただ謙虚に、そして大胆に」歩む人物がいます。それはイエスです。彼は「失われた羊を」を尋ね歩んでいました。この二人が出会う時、火花は飛んだと想いますが、そこに女性・外国人だからという差別はなかったと想います。出会い、そして、憐れみは開かれたのです。

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