説教:加藤 久幸 牧師
マタイによる福音書5:17-20
今日の聖書は、イエスと聖書の関わりについて語っています。17節は、律法と並んで預言者が(しかも複数で)出て来ますので、これは(旧約)聖書と考えてよいでしょう。従ってここは、「わたしが来たのは 聖書を廃止するためではなく、完成するためである」と考えられます。…今日の聖書に続く21-48節には、律法に対するイエスの「反対命題」と呼ばれる話が続きます。「反対命題」という言葉はわかりづらいので、律法を行うにあたって命を吹き込むようなお話と、言っておきましょう。今日の聖書は、それらのお話の「前置き」に位置しています。その一つとして21—26節を取りあげます。…「供え物」が話題にでますが、…神との和解、人との和解に関心を持っています。25節 「あなたがたの(正)義が…まさっていなければ」は、他との比較より、義の質を問題にしているように想います。17節の言葉を幅広く思い出しましょう。―わたしが来たのは 聖書を「確認」「実現」「成就」「満たす」ためである。今日の聖書は、5章の冒頭の山上の祝福「心の貧しい人々は、幸いである…」に始まり、その後に「あなたがたは地の塩…世の光」という呼びかけがあり、今日の聖書が語られ、そして聖書の幾つかが解き明かされていきます。今日の聖書は、弟子たちに厳しくというより、私たちの愛するということ・正義を行うことが(神の愛や神の正義に根差しているか・つながっているかを)正されているように想います。厳しく深いと感じるのであれば、それは神の愛の深さであり神の正義に対する厳しさであります。