毎週の説教メッセージ

off アブラハムの信仰

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説教:最上 光宏牧師

ローマの信徒への手紙4:1-12

 「ひいきの引き倒し」という言葉があります。ユダヤ人たちは父祖アブラハムを尊敬し絶対視するあまり、彼の本質を見誤り、「自分たちはアブラハムの子である」と誇り、異邦人を差別していました。パウロはそのような同胞に、アブラハムが行いによって神から義と認められたのであれば、誇ることもできようが、彼が義とされたのは、信仰によったのであることを強調したのです。それは神の恵みによる義であり、他に誇るべきことではなかったのです。アブラハムと妻サラが高齢になり、奴隷の子を養子にしようとしていた時、神は「あなたから生まれる子が後を継ぐ」と言い、彼を天幕の外に連れ出して「天を仰いで、星を数えることが出来るなら、数えてみるがよい」と言われました。満天の星空に圧倒されて、アブラハムは主を信じ、「主はそれを義と認めた」のです(創世記15:6)。アブラハムは一人の人間として、様々な弱さや破れを持っていました。しかし彼の生涯には、一本の信仰の筋が貫かれていました。行き先知らずに住み慣れた郷里を出たときも、ひとり子イサクを献げようとしたときも、ただ主を信頼する信仰によって決断し行動したのです。神はその信仰を義と認め、祝福されたのです。私たちに求められているのは、そのような神への一途な信仰なのです。人はただ信仰によって義とされるのです。

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