毎週の説教メッセージ

off 信仰による希望

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説教:最上 光宏 牧師

ローマの信徒への手紙4:13-25

 アブラハムはかつて「アブラム」(「尊敬すべき父」)と呼ばれていました。それがアブラハム(「多くの民の父」の意)と呼ばれるようになったのには、大きな意味がありました。彼はユダヤ人だけの父祖ではなく、すべての民の信仰の父となり、主を信じる全ての者が、アブラハムと同様信仰によって義と認められるようになるためです。アブラハムに対する神の約束は、彼が100歳、妻のサラが90歳のときに一人子イサクが与えられることによって成就しましたが、最初アブラハムもサラも「こんな年寄りにそんなことがありえましょうか」と笑っていました。しかしそれが現実となったとき、彼は心から主を畏れ「神に出来ないことはない」と神をあがめたのです。「イサク」とは「笑う」という意味です。これは神から与えられた名前でしたが、アブラハムは自らの不信仰を恥じ、神は自分たちの不遜な冷笑を喜びと感動の笑いに変えてくださった、と感謝したことでしょう。

 神は、「死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在させる方」(無から有を呼び出す神)なのです。ここに私たちの希望の根拠があるのです。「見える物に対する希望は希望ではありません」。彼は「望み得ないのに、なお望みつつ信じた」のです。このアブラハムの信仰に基づいて、私たちもどんなときにも希望を持って歩み続けたいものです。

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