説教:加藤 久幸 牧師
テモテ書一2:1-7
2章で、著者は、初期の教会で用いられていた信条を伝えていると、言われます。それは、口伝の告白内容を、3つの点で表しているだろう、というのです。つまり、▷ひとつの神(5)、▷一人の仲介者キリスト・イエス(5)、▷すべての人の贖いを可能にするキリストの死(6)です。神が唯一なら、すべての人間(性)は、この唯一の神との関係において、一つと見なされます。創造者たる神において、すべての人間が(共通の関係に)基礎づけられています。仲介者は、二つの異質なもの、人間のもとに来たが故に人間の本性を担うものであり、神のもとから来たが故に神の本性を担うものであります。信仰者からすれば、彼は「滅び行く罪人、不滅の義である方」として現れたのです。「この方はすべての人の贖い」(6)のしるし・証しとして来られました。それは、あらゆる時代の、すべての場所の、「囚われている」すべての人間の救い・解放を、意味しています。原始キリスト教の「多くの人の身代金として」(マタイ20・28)来たという表現は、イエスがすべての人のために自発的に行為した、ことをも意味していると想います。それは、4節の「神は、すべての人々が 救われて真理を知るようになることを 望んでおられます」と結びつきます。初代教会は、今示してきた福音・証しに、仕え生きてきました。迫害の時でさえ、迫害者のために祈りました…。1節の「…すべての人々に」は、この文脈で受けとめるよう促されます。