説教:加藤 輝勢子 牧師
ローマ8:18-25
マルティン・ルターは全被造物、例えば動物は「罪を自覚すること」はできないけれど、人間の罪のゆえに、動物も含めて全被造物が虚無に服さざるを得なくなっていると言います。「現在の苦しみ」、それは22節では「被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みに苦しみを味わっている」とも表現されています。さらには23節で「わたしたちも、神の子とされることを、つまり、体の贖われることを、心の中で呻きながら待ち望んでいます」とも言われています。つまり、今、現在の私たちの苦しみが、悩みが、呻きがこのように言い現わされているのです。
最後に、この箇所の最後は、次の言葉で締めくくられています。「わたしたちは、目に見ないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです」(25節)「目に見える希望は希望ではない」(24節)とされています。つまり到底無力な私たちには実現しそうにない様々な困難があります。その困難を前にして、自らの弱さと無力さにくず折れそうになる現実があります。「望み得ないのになお望む」ことが、私たちに求められているのです。ですから「忍耐して待ち望む」ことが必要なのです。その先に「希望」あるのです。今週も私たちが遣わされている現実に悩みと困難の只中にこの聖書の言葉を携えて出ていきましょう。