毎週の説教メッセージ

off 自分の家に帰りなさい

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説教:岩河 敏宏 牧師

マルコによる福音書 5:1-20

マルコによる福音書の5章に至る展開は、“福音(よいしらせ)”という語が「自分の益になること(戦勝報告など)」の意味で使用されていた時代にあって、「総ての人が神の前に自分の生きる意味がある」の意味としてリメイクされ、その具体例が“イエスの言葉と業”を交互に記述する構成で記されています。この流れで本日の箇所を捉えると、汚れた霊に取りつかれた人はイエスと出会う以前は、社会から疎外されて続ける中で自身も生きる意味を見出せず、自傷行為を繰り返していました。社会や家族から疎外された彼は、死者が留め置かれる墓場を住まいとします。イエスを見て走り寄り、「いと高き神の子」とイエスの本質を的確に捉えるも、「かまわないでくれ」神との係わりを拒否します。自らイエスに近づくも、他者から疎外され精神面でも深い傷を負う者にとり、神の存在を受容できない姿を暗示します。それを察知し、「汚れた霊、この人から出て行け」とイエスから係わり、神の“福音”へと繋げるのです。イエスの行動は、利己的な利害に終始する人々には“福音”として受け止められず、厄介者として敬遠されます。一方、癒された人はイエスと同行したいと願いますが、イエスは断ります。社会から疎外されたままでなく、人との繋がりで最も大切な家族の住む家に返すことで、他者との関係性を回復することが真の癒しであり、自身で道を拓き生きるのに必要な基盤だと気付かせるためだと解します。神の家族としての教会が、相互信頼の基盤としたいと祈ります。

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