毎週の説教メッセージ

off エルサレムで遂げようとしておられる最期

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説教:加藤 輝勢子 牧師

ルカによる福音書9:28-36

先週の箇所を受けて、イエスはペトロ、ヨハネ、ヤコブを連れて祈るために山に登られました。イエスが祈っておられると顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いて、二人の人と話していました。モーセとエリヤです。ペトロはそのすばらしさに仮小屋をそれぞれに建てるとい言うと、雲が現れて「これはわたしの子、選ばれた者、これに聞け」との声が聞こえました。そこにいたのはイエスだけでした。この出来事を弟子たちは当時誰にも言わなかったのです。
イエスがエルサレムで遂げようとしておられる「最期」は「エクソダス」となっています。脱出、出発、出口、それはさらに地上の人生からの旅立ちとしての死をも意味するのかもしれません。イエスがエルサレムで遂げようとしておられるエクソダスはイエスの死のことであり、同時に復活のこと、さらに昇天、来臨を含めた栄光の御業のことかもしれません。この後、51節でエルサレムに向かう決意を固められます。この変容はイエスの宣教の目的地がエルサレムであり、そこで「最期」(エクソダス)を遂げることが宣教の目的であることが鮮明になっているのです。マタイ、マルコの並行記事では「変容」の出来事に対して沈黙命令がありますが、ルカでは弟子たちが自ら沈黙しました。しかし後にペトロの手紙Ⅱ(1:11-18)はこの出来事を大胆に信徒に語っています。日常、私たちの取るに足りない歩みですが、受難節を覚え、証しできる歩みをしましょう。

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